緊急事態宣言解除されましたが、まだ油断は出来ないですな……。ともあれ、喜ばしいことですね。
さて、この前Twitterを観ていたら芸術家への給付云々についてまた荒れ狂っていましたね。まずは一次産業へ〜とか、演劇なんぞに渡すな〜とか。
いやぁ完全に平田オリザさんの炎上が大きな原因の一つでありますが……こうなってくると、本当に何のために演劇してるのか分からなくなてきますね!笑
それでこの前、面白い記事がありました。
いろいろ書かれていたのですが、要約するとコミュニケーション教育の失敗、演劇人は表現者、すなわち『伝える力』の専門家であって、『理解する力』が足りていない、ということでした。
これが最終的には社会的問題、教育の話に繋がってくるのですが、今は割愛します。
非常に興味深いです。
演劇の稽古や訓練では様々な言葉が飛び交いますが、その中でもよく使われるものに「相手を動かせ」というものがあります。これは台詞や行動で他者に影響を与える発信、つまり『伝える力』です。確かに稽古をしていても「動かせー!」といった言葉が印象強いです。まぁ舞台という特殊な空間に立つ以上、発信側の身体や言葉が強靭でないとそもそも誰にも影響を与えられないというのはありますが……。
実際思い当たる節もあります。いかに魅力的に自分を見せるか、伝えるかということを考える役者の多いこと……。表現力を、伝える力を!と言われ、そっちばかり鍛えられた結果、理解する力がなくなってしまったと言われると、納得するところはありました。
ただ演劇では伝える力と同じくらいに「聞け」「感じろ」といった受信、すなわち『理解する力』も大事にされます。どれだけ発信が強くても、受信能力が低いのは問題です。
きちんと相手の伝えるものを理解し受け入れ影響され、その上で発信する。
発信と受信は互いがカードゲームのようにターン制で回ってくるものではなく、常に同時に存在して動き続ける流動性の高いものです。現実、人は相手の話を聞きながらも動くし、喋りながらも相手を感じ続けているはずなのです。そこを分けることはできません。舞台に立つと台詞や行動が決まっている以上、発信者と受信者とが交互に入れ替わりがちではあります。そこで第三者目線で調整することが大事なんですが……多くの人間は発信を大事にするあまり、受信を疎かにしがちです。
発信と受信が成立していないのに、少なくとも観客にはそう見えていなければいけないのに魅力的な舞台なんてものはありません。
ただこの受信というのは曲者です。何せ相手の発信をどう受け止めるか、それは受信者側に委ねられています。自分が話していることが相手に伝わらない!という経験は誰しも感じると思いますが、それと同じです。決まった台詞や動きなのに、それを受け止める側の力が足りないと結局は成立しないのです。
剣術の型稽古には、仕太刀と受太刀というものがあります。型どおりに動けば前者が勝つ方、後者が負ける形で終わるように決まっており、その中で理論や動きを練っていくのです。
この型稽古を行う時、受太刀の方が上位になることが多いです。本当に仕太刀が正しい動きが出来ているか見極め、時にはそれじゃ駄目だよと勝ったりしながら仕太刀をリードしてあげるのです。そうしてどんどんと稽古を重ねていくのですが、演劇も似ていると思います。相手を受ける、すなわち理解する力が優れていると大抵上手くいくのです。
少なくとも平田オリザさんは自分よりもよっぽど優れた一流の演劇人ですし、この程度のこと出来ているし理解しているはずなのです。というか、あの人のやる演劇ってこれの方が大事じゃなかったか……。だから、理解する力がないなんてことはないと思います。
ただ、そもそもこれは演劇の上での話であって、現実世界に演劇における理解する力を持ってきてもズレが生じているのかもしれません。記事を書いた人も仰っていましたが、本当の理解する力とは何かを考える時がきているのか、とも思います。
自分も気をつけよう……。
それでは皆様また来週に!さぁて六月が来るぞぉ!!
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