2014年1月18日土曜日

私の行水。

行水のこと。 新年も明け二月に時代物の舞台が控えているのもあり、最近水浴びではなくしっかと行水になるよう心掛けている。 私の行水は鍋島侍の武士道精神を参考におこなっている。 手順はこうである。 まずは普通に風呂に入り頭から足先までを洗う。当然、現代人の普通の家で育った私にこのクソ寒いなか終始冷水で身体を洗い終えることは不可能である。一度試みたことがあるが驚くほど簡単に風邪をひけた。身体を洗うのはお湯である。 大事なのはここからである。 湯を止め、冷水に切り替える。この時に深呼吸をし、背筋を通し遠くの一点を見据え集中する。次にゆっくり息を吐きながら重心を落とし瞼を閉じ心の中で自らの心臓を想像する。 頭から水を浴びる。 最初の冷たさを大切に受け止めつつじっくり全身が死んで行く感覚を感じる。呼吸が上がり身体が肺呼吸を強いてくるのをスッと脱力し身体を整える。やがて想像のなかの心臓が青くなり鼓動が失せてくる。それと同時にだんだんと冷水に身体がなれ少ない呼吸で落ち着いていられるようになる。 ここから次の段階に移る。 ちょうど、もののけ姫のシシガミの森の泉の様なもの、その小島の上に愛刀が浮いているのを思う。今度はそれをゆっくり抜いていくのである。 この時に面白いのが刀との距離感や刀の大きさなどが日によって違うのである。心身のブレの現れなのだろうが常に現物と寸分違わぬことを心掛けたいものである。 この流れをだいたい一分から一分半で行う。夏場なら問題ないが冬場はこれ以上水を浴びると頭が痛みだし最悪、低体温症になるらしい。 抜刀を終え水を止めると身体が鼓動し一気に生命を感じることが出来るがここで一番大事なのは生より死を感じることである。 毎日、死に死に常に死に身を保つことが大事だと考えている。 中村友祐

0 件のコメント:

コメントを投稿